「どっちでもいい」って
・主体性がない
・自分の意見持っていない
・人まかせにしている
そういう印象がある。
私は21歳の時にオーストラリアに留学し
その後、アメリカやイギリスへも留学した。
たくさんの国をバックパック背負って
一人旅行した経験もある。
外国人と接するときには
「自分の意見をはっきり言わなくてはならない」
という意識があったので、
「どっちでもいい」“Either is fine.”
は言ったことがなかった。
私自身の性格も、
・白黒はっきりさせたい
・あいまいな状態が苦手
という傾向があって
日本語でも
「どっちでもいい」は
ほとんど言ったことがなかった。
でも、最近思うのは
「どっちでもいい」って
「執着がない状態」だって感じる。
「絶対」とか「どうしても」という
強いこだわりがなくて
力が抜けていて、
らくな状態だって感じる。
「まぁ、どっちでもいっかー」
って言うだけでらくになるし、
ゆるくいられる。
握っていたものを手放せる感覚になる。
心の学びの中でも
思い込み・信じ込み・誤解といったビリーフを
リセットしていくワークでは
最終的には
自分が信じ込んでいたことが
「そうであっても、そうでなくても、どちらでもいい」
ことに気づいて、リセットされる。
私は何度も
このビリーフ・リセットワークを受けたことがあるが
いつもこの段階になると
「なんでそんなふうに思い込んでいたんだろう」
と不思議なくらい力が抜けて笑ってしまう。
私にとって「どっちでもいい」は
こだわりやとらわれから離れ
気持ちをらくにしてくれる言葉だ。