先日のオンライン古事記塾での気づきについて
その続きを書いてみようと思う。
毎回、その日の古事記塾の最後に
印象に残ったこと
自分にとって気づきとなったこと
学びとなったこと
などを一人一人シェアする。
私は、今回の「書き下し文」の解釈に挑戦して
間違えたり、できない自分を出せてよかった。
「難しい」「できない」という体験が面白かった。
と自分の気持ちをそのままシェアした。
そうしたら、先生が
「朋ちゃんみたいな人が間違ってくれたりすると
みんなすっごい安心するから」
と言われた。
そして、先生ご自身のことについてもお話くださった。
(以下、今野先生の言葉)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私も過去多々間違えをしていた。
できるだけ間違わない
できるだけ完璧でありたい
できるだけよく見られたい
本当にイヤなやつでした。
今もそういう片鱗なきにしもあらずですけど
私、歌がすごく下手で
それをやるようになってから
自分を面白がれる
できない自分を面白がれるようになった。
音楽は急にうまくならない。
できないこともちょっとずつできる範囲が広がって
全然(音の調子)はずれているんだけどね
歌うことも恥ずかしくなくなってきたし
どう思われるかもよくなってきたし
一緒に笑い転げてしまう
ちょっとずつ良くなってきたの
今までだめなところは出さなくて
できるだけそこは見てもらわなくて
他の違うところで勝負するって思って
でも、それを含めて全部私
素直に自分を出せるようになった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
えーっ、先生も!?
私は長年
「できない自分」は「だめな自分」だから
そういう自分を人に見せてはならない。
と思ってきた。
恥だと思ってきた。
小学1年生の時
私はクラスで1番の落ちこぼれで
何をやらせても
できないし、遅い。
先生には問題児として扱われ
クラスメイトには馬鹿にされ
いじめられた。
「私はダメダメな子」
だから人並みになるために
人一倍努力しなきゃなんだ。
そこから、
努力、根性、忍耐の人生が始まった。
ちゃんとしていないと
人並みに扱ってもらえない。
できない自分じゃ絶対にだめで
人にそういう自分を見せてはいけない。
人生の早い時期に決めた。
だから、今でも
できない自分をさらけ出すことが
死ぬほど恥ずかしいし、怖い。
自我が全力で抵抗する。
これは私自身を守ってきた自我の防衛機制だって
わかるんだけど。
私にとっては難易度MAXの課題。
「本当の自分で生きていく」って
間違える自分も
できない自分も
カッコ悪い自分も
全部「本当の自分」なんだって
自分自身にOKを出していくこと。
そして、そんな自分をさらけ出しても大丈夫
って生きていくことなんだなぁ
とあらためて思った。
まずは自分が安心だと感じる場で
その練習をしていこう。
カッコ悪い自分を出している人って
実は最高にカッコイイ!!