3月末
大学生の娘が春休みを利用して
東京から帰ってきた。
一緒にいられるのは1週間くらいだったので
できるだけ娘の希望を叶えて
ともに楽しい時間を過ごした。
西蒲区巻のワイナリー
カーヴドッチへ行きスパに一泊したり、
弥彦や寺泊へドライブして
カニやウニ、ホタテ、牡蠣を食べたり
日本海を眺めたり、
映画を観に行ったり
ショッピングしたり
おいしいものを食べに行ったり
娘も新潟での春休みを
満喫できたようだった。
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実は、今回の娘の帰省で
私がどうしてもやりたかったことがあった。
それは、娘に謝ること
私の思いを伝えることだった。
今まで、心の学びをしたり
子育て講座を受講したりして
私はたくさんの気づきを得た。
自分がやってきた子育てや
娘との接し方を振りかえって
いろんなことに気づいた今
どうしても娘に謝りたかった。
未熟だったことを謝りたかった。
娘を身ごもってから今に至るまで
その一瞬一瞬を
自分なりに一生懸命やってきたつもりだ。
(だから、自分を責めないようにはしているが)
だけど、娘に誤解させてしまったこと
娘を傷つけてしまったことが多々あったと
自覚している。
私自身もこの数年
幼少期のころからの親との関係を見てきて
たくさん誤解もしてきたし
傷ついてきたことに気づいた。
そして
それらを癒やしたり手放すのに
ものすごく時間がかかった。
だから、娘にはできるだけ早く
私にできることをしたいと思った。
私の思いを伝えて、謝りたかった。
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娘を心配しすぎた。
「べき・ねば」で娘を縛っていた。
外面のいい分、娘に我慢させた。
自分の感情のあつかい方がわからなくて
感情的反応をそのまま娘にぶつけた。
人は「もらったものしか与えられない」という。
私は親から心配という形の愛をもらった。
そして娘にも心配という形の愛を与えてきた。
母はいつも私が感情を出すことを嫌がった。
私は自分の感情の取り扱いがわからず、
周りに当たることしかできなかった。
親がやってきたことを私もやってきた。
だからといって、
親を責めるつもりもないし
あのときの親はまだ若く未熟だったと思う。
だけど、このままいけば、
娘が親になったとき
私がやってきたことと同じことをするかもしれない。
もうここで終わりにしなくては
私は思い出せる出来事を一つ一つ振り返り、
娘に
「(あの時)ママはこうだった。ごめんね。」
「ママ、ひどいことをしたね。本当に未熟だったよ」
と伝えた。
娘は泣いていた。
私も泣いていた。
驚いたのは
私が娘に謝ると
娘が「だけどそうするのは仕方なかったよね」
と言ってくれたことだった。
子どもはなんて健気なんだろう。
無条件の愛をくれるのは
親じゃなくて、子どもの方だ
と胸が痛くなった。
今回、私は自分の思いを伝えたことで
スッキリしたとか
もう罪悪感を感じなくて済むとか
そういうことはない。
娘の心に何が起きたかは(娘の領域であり)
私にはわからない。
ただ、本当の気持ちを伝えたことで
娘がもっていたかもしれない誤解が
少しでも解けたならよかったと思う。
そして、
気づいたことを実生活で生かしてくことが
学びだと思っているので
それができてよかったと思っている。
言葉で伝えきれなかった部分もあったと思うけれど
それはきっとエネルギーで伝わっていると思う。